描いたり書いたり生活

「人間」をやるのが見るに堪えないほど下手な人間が綴る、見るに堪えないブログ

耐Q試狷

 「従順に組織に身を捧げることこそが、あなたにとっての美徳であります」

 声高に述べる演者は、ガイ・フォークスのマスクに素顔を包んでいた。

 扉を開放されながら、講堂の四方は鉄格子と監察官に囲まれている。そんな閉塞空間に異口同音の拍手が炸裂する。

 青年が見渡す辺り一面、聴衆は皆演者と同じマスクで素顔を覆っている。ガイ・フォークスのマスクと長袖の裏側を悟る間もなく、青年は支給されたマスクで顔を覆った。

 「何事も経験に頼りましょう。経験の範疇外は悪であり、学ぶべきは先人の経験論であります」

 拍手喝采は鳴り止まない。マスクにより限られた視界の端では、立ち上がって歓声を上げる聴者すらいた。青年は「拍手喝采する聴衆」という眼前の経験論に従った。

 聴者は皆狂気的な共感を示し、演者の発言に疑問を呈する者はおろか、講義に反旗を翻す者はいるはずもなかった。――この演者の言うことは、この場にいる皆が「称賛」という形で認めた紛うことなき事実なのだから。

 青年は、演者の講義を素晴らしいとさえ感じた。これほどの大衆を共感の渦に巻き込み、これほどの大衆から称賛を得ているのだから。正しいのだ、と。

 「ありがとう。次回の講義は明日の零時です」

 よく通る声でそう言い残すと、演者は大儀そうに教壇を退いた。退出に伴い、例のごとく会場は沸き上がった。青年がそれに便乗したのは言うまでもない。

 ——どこまでも善良で痛快な講義だった。この快感に浸り、揺蕩いていたい。

 流れゆくガイ・フォークスの群れの中、一人立ち尽くして講義内容を反芻している時のことだった。

 「次回の講義は明日の零時です」

 青年が会場の扉を潜る時、機械音のように感情の読み取れない声でガイ・フォークスがそう言った。「はい。是非とも参加させていただきます」と、右に倣う無機質な返事が声帯を震わせる。最早、そこに青年の意思が介在しているか否かは誰の眼にも明白だろう。

 青年に声をかけたガイ・フォークスは、嬉々とした様子でその場を去って行った。

 

 

 「組織への抵抗ほどナンセンスな愚行はない。なぜなら抵抗はあなた自身の社会的孤立を意味するのですからね」

 声を荒げて熱弁する演者は、浅黒く変色したガイ・フォークスのマスクに本心を包んでいた。

 開錠されながらも、扉の前には軍服に身を包むガイ・フォークスが立ち塞がる。そんな軟禁状態の空間に、数秒のタイムラグの後に拍手が炸裂した。

 「あまり飲み込みが芳しくないようですね。質問ならば受け付けますよ」

 演者は首を傾げながら聴衆に問うた。ガイ・フォークスの群れは騒めきに包まれるが、疑念の手が挙がることはない。

 「・・・では、続けます。何事も経験と憶測とに頼りましょう。新しきに甘んずるのは若者の脆弱性であり、皆さんを普遍の理想へ導けるのは上の世代の経験則に他ありません!」

 パラパラとした拍手から1秒の遅延を経て拍手が喝采した。制限された視界の端々に、挙動の明らかにおかしいガイ・フォークスが居た。きっと良からぬことを画策しているに違いない。

 青年は、愚かしいとさえ思った。――このような善良で痛快な講義のどこに疑念を抱けようか。彼の教義からは、「思考」という苦痛を伴う過程の一切を省けるという恩恵を賜れるのだ。

 「近々の若者は共感に脆弱な上に反抗的な傾向を有するからいけない。疑問が消えないのなら聞こうではないか」

 演者は、青年の右斜め前に着座するマガイモノに歩み寄り、憤怒を声色に任せて問うた。

 「・・・はい。先人の経験の重要性は承知しておりますが、新しきを必ずしも悪として否定するというのは、先生のような識者として如何なものでしょうか」

 演者は羽織の懐を探ったかと思うと、その手には黒光りする拳銃が握られていた。赤黒く薄汚れた手袋に握られた拳銃を、次の瞬間にはマガイモノに突き付けていた。

 「私たちの善良な空間を邪魔するな。手前勝手な解釈を正義へ昇華すべく組織に抵抗するとは何とも愚かしく、嘆かわしい。もう君は不必要だ」

 発砲音と共に、マガイモノの素顔を覆っていたガイ・フォークスのマスクは重々しい金属音と共に2,3度の跳躍を果たした。全身を覆う漆黒のコートはそれに倣い、床に崩れ落ちた。

 その中に存在するはずの「正体」は確認できない。・・・が、マガイモノであった遺物の上にひらりと写真のような紙切れが舞い落ちた。

 講堂を支配したのは悲鳴や阿鼻叫喚の類ではなく、永い沈黙による静寂であった。演者は遺された紙切れを拾い上げる。

 「彼のようなマガイモノが消えて良かったではないか。私たちの善良な空間は守られ、君たちは彼のような愚行に走らなければいいという指標を学べた。悪き手本を見出せたという意味で、本当に良かったではないか」

 拳銃と共に紙切れを懐に仕舞い、演者は講堂を去って行った。

 その際に演者のマスクに小さく亀裂が入るのを、青年の眼は見逃さなかった。

 

 

 「我々への隷属以外、君たちが生を享受する手段はないのだ‼」

 ガイ・フォークスは依然演者を覆い隠す。が、それは形式的なものであり、以前のようにペテンの役割を果たすには力不足であった。

 ガイ・フォークスは講堂を埋め尽くす。しかし、空間を支配したのは以前のような拍手喝采ではなく、世界から音を喪失したかのような沈黙だった。

 「我々がそうであったように、若者は上世代の命令に何も考えずに従いさえすればいい‼それができないマガイモノが人権を享受するなんて、おこがましいにも程がある‼」

 演者のガイ・フォークスのマスクに亀裂が拡大するのが目視できた。依然として空間を支配するのは沈黙ゆえの静寂であった。

 制限された視界の端に、一人の動向が確認できた。彼は席から立ち上がり、ガイ・フォークスの仮面を外そうとしている。が、彼の顔からガイ・フォークスが剥がれる落ちる気配はない。

 「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ‼」

 彼の絶叫と共に、ガイ・フォークスは宙を舞う。仮面は2,3度の跳躍と共に重々しい金属音を奏でた。そして——例の紙切れだけが遺される。

 紙切れになり果てた彼に倣い、一人、また一人とガイ・フォークスを顔から引き剥がす。先日までは拍手喝采を奏でる一員だった者が、だ。

 その異様な光景に、青年は講堂から逃亡した。監視官として扉を塞いでいたガイ・フォークスすらもこの凶行に至っていたので、逃亡に時間はかからなかった。

 

 

 理路整然と立ち並ぶ高層ビルの群れ、夜空に映えるネオンサイン。繁栄の代名詞としての共感覚は大衆の憧憬として若者を煽り、醜悪な現状は煌々銘々たる街並みで覆い隠す。素顔を仮面で覆ったペテン師さながらの大都市は、搾取謀略の限りで屍の山を築き上げ、それでも人は路地裏の醜さを知らない。 ̄ ̄否、気付かぬふりをするのだ。

 そんな偽りの街から逃げるように、青年は走った。走り続けるうちに、ガラス片の散らばる路地裏に通りかかる。ふと目線を遣った先に置かれる三面鏡の前で、青年は何を思うでもなく立ち止まった。

 三面鏡の前で、青年は笑った。

 —―俺は識者だ。俺はこの世の醜さの限りを知る。屍の山が築かれる所も目の当たりにした。

 三面鏡の奥で、ガイ・フォークスは嗤った。

 —―俺は死体だ。醜悪な現状を直視してきたのは事実だが——俺もその屍の山の一体の骸に過ぎない。右に倣えでガイ・フォークスのマスクを付けた時点で、俺は屍だったのだ。

 虚飾が魅せる幻想に微睡むのが、心地よかった。だが、そんな心地よい日常に付きまとった焦燥と疑念とが、青年を屍の海へと突き落としたのだ。

 蒼い光が朝の気配を報せ、高く歪に積み上げられた虚構のシルエットが黒々と映し出される。ガイ・フォークスの崩れぬ笑顔の裏側で、青年は眉間に皺を深々と刻み込んだ。

 夜が眠りにつく路地裏で、青年は変形した鉄パイプを拾った。それから意を決するまでに時間はかからなかった。なぜなら青年には、何も失うものが無いのだから。

 

 

 「隷属か死のどちらかを選べ‼」

 半狂乱状態の演者の叫びは、聴者が半減した講堂に虚しく木霊する。

 自ら狭めた視界の傍らで、ガイ・フォークスたちは黙して俯いていた。先日の集団発狂にて命を絶った者の席には、ガイ・フォークスのマスクが置かれている。

 青年は鉄パイプを片手に立ち上がる。演者が狂気を振りまく教壇へ一歩、また一歩と確実に歩を進めた。演者は微動だにすることなく、教壇の前に立ち尽くしている。

 「隷属か死か‼」

 演者には歩み寄る青年の存在に気付かないとでも言わんばかりに、壊れたラジオのように死に絶えた選択肢を叫び続けていた。聴衆からは、以前のような拍手喝采も、先日のような狂乱も沸き上がる気配はない。

 思えば、最初から選択肢なんて与えられていなかった。死を除いた選択肢は「隷属」であるという洗脳のもとに置かれ、皆、見失っていたのだ。

 —―「抵抗」という、第三の選択肢を。

 圧政、洗脳、恐怖支配。古今東西、それらの末路は判を押したように、退路を断たれ「第三の選択肢」の存在に気付いた者により成し遂げられてきた。

 握り締めた鉄パイプを振り翳し——青年は生まれて初めて「自らの意思」を遂行した。

 鈍く重々しい打撃音は、ガイ・フォークスのマスクを演者から奪った。再度、三度と講堂に行き渡る打撃音は、次第に頭蓋を穿つ不快な響きを伴う。

 飛沫特有の模様が、演者の周りの床を真紅に染める。その紅は青年の腕をも染め上げ、不快感からなる苛立ちが青年を支配する。罪悪感など微塵もなかった。

 演者が動かなくなる頃には鉄パイプの先端は紅黒く変色し、あらぬ方向へと変形していた。

 —―これで全て、終わりなんだ・・・。

 安堵とも達成感とも言い知れぬ念情が脱力を促し、握り締めていた鉄パイプを投げ棄てる。

 鼓膜を穿つ金属音に何を思うでもなく、青年は骸と化した演者に歩み寄る。頬に紅い飛沫を浴びるガイ・フォークスのマスクを拾い上げ、演者の素顔を覗き込んだ。

 刹那、全身に形容しがたい衝撃が走り抜けた。

 演者の額を伝う紅に驚いた訳でも、頭蓋を変形させるまでの自身の倫理観を疑った訳でもない。

 演者の顔に貼り付いていたのは、見慣れすぎるあまり嫌悪感すら抱いた「青年自身の顔」だったからだ。――青年に対して狂気を振りまき、圧政や洗脳のもとにその身を束縛したのは、他でもない青年自身だったのだ。

 刹那、黙して隷属に徹していた聴衆は嗤いだした。講堂に響き渡る嗤い声は留まることを知らず、脳天を裂かんばかりに青年を包み込む。

 聴衆の中には、青年の両親の姿があった。――愛というエゴイズムを満たすべく青年を無責任に産み落とし、また理想というエゴイズムを満たすべく青年を圧政のもとに置いた両親の姿が。

 聴衆の中には、青年を担当した教師の姿があった。――普遍という幻想に微睡み、「普通の人間」というあるはずもない偶像に縋り、それが何よりの理想であると青年を洗脳した教師の姿が。

 聴衆の中には、青年を虐めていた生徒の姿があった。自身の弱さから眼を逸らすべく感情論に縋り、鬱憤を青年にぶつけ続けた彼らの姿が。

 そして。

 聴衆の中には——青年自身の姿があった。